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古墳について

第十代崇神天皇の御代に四道将軍の一人、東海道将軍として派遣された建渟

河別命は東夷平定にあたり、この地を本拠に活躍しました。その功を遂げると都へ戻りました

が、後年再び来住して村人たちの文化を高めました。命が薨ずると、村人たちは広大な陵墓を

築き(築造期は、今からおよそ一五〇〇年前)、東海鎮護の神としてここに命を奉斎しました。

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